4実験動物


兵藤は山さんの部室前を何度も通り過ぎていた。

―入るべきか。入らざるべきか。ええい、ままよ。

ドアノブに手をかけ回す。開かなかった。

―え、休みなのか。そりゃないぜ、おっかさん。

もう一度ドアノブに手をかけ、前後に揺する。開かない。

「ご用件をどうぞ」

中から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「山本さんに言われて来たんですけど」

「もしかして兵藤か」

「その声はやっぱり亀井か」急にフレンドリーになる。

鍵の開く音がして、亀井が出てきた。

兵藤が亀井の体越しに奥を見ると誰もいないみたいだった。

部屋の中は部室というより書庫のような印象を受ける。

亀井は兵藤を部屋の中に入れた。

兵藤が周囲を見るとなぜここにあるのかが良く分からない物がたくさん転がっていた。

「ところで、山本にはなんて言われて来たんだ」

「知らないのか。お前が俺の場所を教えたんじゃないか」

「まあ、そうだけど。聞かれたから答えただけだよ」

「俺の部屋に幽霊が出るという話。お前も多分聞いただろ。山さんには噂を消せるのは噂だけだって言われたんだよ」

「だが、噂が噂を呼ぶとも言うが。やめといた方がいいんじゃないか」

―山さんで突っ込み入るかと思ったのに無視された。

「あれ、お前は反対なのか。霊能力者がいるって聞いたけど」

「は、霊などいるわけがないだろ」

「じゃあ、なんでお前はこのサークルにいるんだ」

「霊がいない事を証明するために決まっているだろ」

「でも、なんで霊がいないって分かるんだ。そんなの誰にも分からないだろ」

「説明しよう…」

亀井の話はこうだ。

霊は特定の人には見えるが自分を含めた大多数の人には見えない。

Aさんにしか霊が見えていないという事はAさんが自分で霊を作り出していると考えられる。

つまり、死んだ者のせいで何かが起こるのではなく、生きている者が何かを起こしている。

窮地に追い込まれたり、薬物を用いたりすると幻覚を見るという事例が報告されている事から、Aさんは幽霊の幻覚を見ているという事が推測される。

実態のない霊が実際に感情を持って存在しているのではなく、酒や薬物など何らかの原因によって特定の人物にだけ幻覚を見る能力がついたという説明の方が可能性は高いとの事だ。  

以上、亀井の霊不存在説だ。

「でもさ。お葬式とかして故人の霊を送ったりするだろ。あれは霊がいるという事じゃないのか」

「葬式は生きている人の為の場所だよ。別に故人が葬式を望んでいるわけではない。どんな人でも、熟睡している時は静かだろ。生者と死者の区切りをつける事で過去に囚われる事無く、周囲の人達が未来に進んでいけるんだよ」

「まあ、確かに」

寝ている時に本質的な欲望は出ても主観的な行動はまずやらない。

―葬式ってそういう意味だったんだ。

幽霊が嫌いな兵藤には、こっちの考え方の方がいい。

兵藤は納得した。

「じゃあ、俺がここに来ても意味ないよな」

「なんで」

「だって、霊とかいないんだろ」

「早とちりするなよ。あくまで俺がそう考えているだけだよ。実験するにしても機材がないからな。検証されていない以上、何とも言えないよ。その内に誰かが人間の脳に取り付ける装置を開発して、明らかになると思っているけどな」

「…そうか」

「椅子あるんだから座れば」

いつの間にか後ろに女が立っている。

「ああ、彼女が俺の実験動物の古森さんだ」

「ただの古森です」

古森の背は低く、背中まである長い黒髪が光沢を放っていた。

「始めまして。兵藤です。城攻めの時に必要です。そりゃ、兵糧やないか」

「…」凍りついたかのように古森の顔に表情はない。

「…」

「…」

重苦しい空気が漂う。兵藤は椅子に座った。

口を開くきっかけを掴もうと様子を伺う。

亀井は古森の小動物のような横顔を見つめていた。

兵藤も同じように古森の横顔を見つめる。

だが、古森は動じない。

「私の顔に何かついているかしら」古森が口を開いた。

「霊感が強い人って古森さんの事ですか」

兵藤は古森のオーラに気圧されて、丁寧語になっている。

古森は少し嫌そうな顔をしていた。

「強いかどうかは分からないけれど、夜寝る時にいつも霊が集まってくるわね」

「どういう事ですか」

「ラップ音が激しくなるのよ」

「ラップ音ですか。他には」

「タロット占いが良く当たるわ」

兵藤は亀井を見る。亀井はいつになく上機嫌だ。

「な。こいつ、おもしろいだろ」

「亀井君。いつかあなたには罰が当たるわよ。ところで兵藤さん。あなたは私に何か用があったのではないですか」

「分かるのですか」

「ええ、生まれつき勘がするどいのです」

「おお。まさに聖女さまだ」

「褒め言葉も過ぎると嫌味になりますよ。あなたの部屋を見て欲しいということではないでしょうか」

―別に褒めてもいないんだけどな。俺の事なんて、霊能力がなくても予想出来るわ。

「まさに、その通りです。見ていただけるのでしょうか」

「私は頼まれると嫌とは言えない性格なのよ」

「それでは」

「ええ、行きましょう」

―何この展開。俺はアホか。

「ただ、あなたは野獣。あなたの部屋で2人きりになると危険です。あなたの部屋にはサークルの仲間達数人で行く事にしますが、よろしいですか」

「まあ、構わないですが」

兵藤は野獣と言われた事に対して少し落ち込んだ。

亀井はただ笑っている。

「じゃあ、住所と電話番号をここに記入して」

古森はノートを兵藤の前に出した。

「それは分からないのですか」

ふと兵藤の口から本音が出た。

古森の顔が赤くなったような気がする。

「あなた。私をバカにしているのですか」

「いえ、つい」

兵藤は半笑いしながら頭を下げて、ノートに住所、電話番号、メールアドレスを記入した。

古森の顔から表情がまた消えた。

「メンバーに都合の良い日を確認して、ご連絡します」

―日取りとかも占いで分かるんじゃないのか。しかし、余計な事を言うとプライドだけ高い年寄りのように怒ってごまかされるだけだ。

兵藤は胡散臭さを感じながら、亀井と古森を残して部室を後にした。


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