たあいの無い会話をしながら、兵藤は血圧が上がるのを感じていた。
ボディガードであれば、ガード対象ではなく周囲を警戒する所だが、兵藤は山本ばかり意識している。
周りが見えていなかった。
通行人が前から来ても避けようとしない。まさにカップルは盲目だ。
一方その頃、佐藤と古森が並んで歩く後から一定の距離を保って亀井が歩いていた。
つかず離れず、その亀井の態度に2人はどう接して良いか分からないでいた。
「ついてきているみたい」
「ええ。どうしますか」
2人は亀井に聞こえないように声をひそめながら話している。
亀井はそれも気に入らない。
「どうするってどうするのよ」
「僕に言われてもわかりませんよ」
―ああ、この人は優しいと思っていたけど…。違うわ。優柔不断なだけ。どうやら、私の勘違いだったみたい。
古森の恋心は急激に熱を落としたのだが、今さらどうする事も出来ずに溜め息を1つ吐いた。
―くそ、佐藤の奴。いちゃいちゃしやがって。
亀井の中にそんな気持ちがあった事は間違いない。
しかし、亀井が実際に考えている事はそうではなかった。
―俺は一体何をしているのだ。古森が佐藤を選んだのだから仕方がないじゃないか。もう帰ろう。
亀井は不毛な行動について自分でも分かっていた。だが、止められないのが人間としての心なのだ。
だが、そんな亀井の心を知らない佐藤はただ気持ち悪く思うだけだ。
―本当に勘弁して下さいよ。ストーカーは怖いです。
佐藤は警察に相談するべきか迷ったのだが、警察は民事不介入だ。
何もしないわけではなく、法的に主観的な危機感だけで根拠無く動いてくれる事はない。
原告の被害妄想という事もある。
真実はその場にいない者には分からない。
何かあってからでは遅いのだが、何かあってからしか動けないのだ。
ニュースの報道を見てそういった事を佐藤は何となく解釈していた。
佐藤は後ろを振り返り、亀井に声をかけた。
「あの、悪いのですが、ストーカーはやめてもらえませんかね」
―ストーカーだって。
その言葉に亀井の頭に龍の如く血がかけ巡った。
「もう一度言ってみろ。どうやら、空耳が聞こえたらしい」
亀井は自分を抑えながら不気味な笑みを浮かべている。
「だから、ストーカーは…」
「この野郎」
空気を読まなかった佐藤の言葉に亀井はスパークした。
佐藤に殴りかかる。
しかし、感情まかせの大振りな右フックだ。
佐藤はなんなく避ける。
だが、避けた事でさらに亀井の闘争心に火がついた。
古森は2人のそんな様子にどうして良いか分からずにいた。
「くらえ」 亀井はズボンのポケットに隠し持っていた緊急回避用の10円玉を佐藤に投げつける。
当たっても痛くはないのだが、一瞬佐藤の動きが止まる。
今だ。
「だめ」
古森が2人の間に割り込んだ。
しかし、亀井の左フックは自己停止限界点を超えていた。
慣性の法則に従い、古森の横顔にそのままヒットする。
全体重のかかった亀井の渾身の一撃を受けて古森はサンドバッグのように弾けとんだ。
佐藤が古森に駆け寄りながら叫ぶ。
「なんて事をするのですか」
―やっちまった。どうしよう。
亀井は頭が真っ白になり何も言う事は出来なかった。
佐藤は何も言わない亀井を訝しげに見る。
―亀井君。普通ならここで謝るのが筋ではないのですか。何てひどい奴なのでしょう。それよりも古森さんだ。
古森を見るとどうやら脳震盪を起こしたらしい。
意識が無い。
佐藤は初めての事態にどうして良いか分からなかった。
―やっぱり、人口呼吸とか心臓マッサージとかするのでしょうか。
佐藤も男だ。
意識を失った古森の唇と胸に意識が集中する。
そんな必要が無い事は佐藤も分かっていた。
しかし、自分の都合の良いように考えるのが普通の人なのだ。
―まずは救急車を呼んだ方がいいのかもしれない。
佐藤は亀井に指示を出す。
「亀井君。救急車呼んでもらえますか」
「…。ああ、分かった」
自分の行動を決められなかった亀井は佐藤との反目を忘れ、その指示に従う。
これで、亀井はこっちを見ていない。
好機到来。
佐藤がそう思ったのかは知らないが、佐藤は介抱するふりをして、ここぞとばかりに古森の体をさりげなく触っていた。
古森はすぐに意識が戻った。
邪悪な佐藤も紳士に戻る。
「古森さん。大丈夫ですか」
「あれ…私」
「亀井君に殴られて気絶したのですよ。でも、もう大丈夫。救急車も呼んでいますから」
亀井の功績をも自分の功績へとすり替え、佐藤は自分の評価をあげていく。
だが、それは無意識に行っている事なので佐藤に罪はない。
「佐藤君。ありがとう」
古森が毅然とした対応に佐藤を見直した瞬間だった。
亀井は気がついた古森の様子に安心する。
だが、それを表に出す事はしない。
そういう不器用な男なのだ。
古森はこんな状況になった自分のそばにいない亀井に対しての興味はここでさっぱり無くなった。
女とはそういうものだ。
目に見える事しか気がつかない愚かな生き物なのだから仕方が無い。
一説によると女は古来より家を守る役割を担って来た事から、現実的な事にしか興味が無い人が多いらしい。
古森も近くにいるのが佐藤だけだった事から、自分を心配しているのも佐藤だけだと思い込んだ。
実際、そこまでダメージは無いのだが、古森はふらふらと立ち上がると離れた場所にいる亀井の方を向く。
「悪いけど、もう付きまとわないで。私は佐藤君の物だから」
古森は恥ずかしい台詞を大きな声で宣言する。
「…ああ。分かったよ」
亀井は罪悪感から何も言い返す事は出来ず承諾した。