兵藤は山本の家に来ていた。
自分が一人暮らしなので山本もそうかと思っていたら、山本の家族がいてがっかりしている。
兵藤の心配はどうやら杞憂に終わったようだ。
さすがに親がいる時にそのような行為に発展することはなかろう。
挨拶もそこそこに兵藤は部屋へと通された。
「あんまり、じろじろ見ないでよ。恥ずかしい。ちょっと飲み物取ってくるね」
そう言って、山本は部屋を出て行った。
―ここが山本の部屋か。想像していたのと大分違うな。
兵藤は洋風のベッドにぬいぐるみが敷き詰められているような部屋を想像していたのだが、山本の部屋は和風だった。
家自体が年季の入っている大きな家で、どの部屋も江戸間の畳が敷き詰められている。
まるでやくざ映画に良く出てくるような家だ。
兵藤は実家も今のアパートも洋風のため、なんだか場違いな所に来たようで居心地が悪い。
家の広さにも落ち着かない。
辺りをつい見回してしまう。
―妖怪でも住んでいそうだな。
自分の部屋と比べて、部屋の中が妙に暗い感じがする。
今にも何かが出てきそうな気がした。
―やばいな。尿意を催してきたぞ。
兵藤は山本が帰ってきたらトイレを借りようとしばらく待っていたのだが、なかなか帰って来ない。
山本は居間で通り魔が自分の通う大学の関係者であった事を親から聞いてニュースに釘付けだったのだが、そんな事とは兵藤に分かる訳がない。
幾度となく繰り返す波に必死に耐えていたのだが、限界に近づいていた。
兵藤は意を決して立ち上がる。
廊下に出ると兵藤は恐る恐るトイレを探した。
それらしい木の扉を見つける。
開けるとそこにはあまり見た事が無い掃除用具のような物が所狭しと並んでいる。
兵藤は興味を覚えたのだが、今はそんな事に構っている暇はない。
「何しとるん」
兵藤はいきなり背後から話しかけられ緊張した。
振り向くとそこには女の子がいた。
田舎の子が良く着ているような古めかしい服を身にまとっている。
女の子の言葉遣いに違和感を少し覚えたのだが、トイレを探していた兵藤にとっては好都合だ。
「あのさ、トイレを探しているんだけど」
「…」
「場所知らないかな」
「知らん」
女の子は不思議そうに兵藤を見つめている。
「トイレって知っている」
「知らん」
―言い方がまずいのかな。
「じゃあ、お手洗いは」
「…」
「便所とか」
「…」
「厠か」
「…」
「知るわけないよな」
笑いかけたが女の子は黙ったまま兵藤を見ている。
不思議と兵藤は子供に恐怖を感じていた。
「どうしたの」
「うわ」
背後から山本に声をかけられ、兵藤は叫び声をあげる。
「おいおい。脅かすなよ」
見知った山本の顔を見た事で兵藤の緊張が解けた。
「今、この子にトイレの場所を聞いていたのだよ」
兵藤がそう言って子供の方を向くといなくなっている。
「そんな子がどこにいるのよ」
山本は兵藤の向いた方向に視線を移すと怪訝そうな表情をしていた。
「あれ。確かにそこにいたのに」
兵藤は眼鏡を外して手の甲で目を軽く押し、また眼鏡をかけた。
「からかっているのじゃないでしょうね。トイレはこっちよ」
兵藤は首をかしげながら山本に案内されてトイレに向かう。
―ふー。
和式の小さな便器めがけて兵藤のホースから勢い良く放水された。
―一体、あの子はなんだったのだ。
用を足し終える頃には兵藤の小さな疑問が疑惑へと変化していた。
―まさか。あれが噂に聞く座敷わらしなのか。
山本の部屋に戻った後もそれは消えなかった。
「…あのさ」
言いかけて兵藤はやめた。
自分が変に思われるかもしれないという一心からだ。
ふと山本の顔を見ると部屋を出た時より元気がなくなっているような気がした。
何か物思いにふけっているようにも見える。
それが証拠に山本は兵藤の言葉も聞き逃していたようだ。
何の反応も無い。
「山本。山本」
数回呼びかけると山本はやっと兵藤に目を向けた。
「どうかしたのか。気分でも悪いのか」
山本は躊躇いがちに答える。
「あのね。…通り魔いたでしょ」
「ああ。それがどうかしたのか」
「…知っている人だったの」
―ええ。もしかして犠牲者の中に知り合いがいたのか。やべー。対応に困る。
とはいえ、兵藤には山本を勇気づけるくらいしか選択肢は残っていない。
「…それは気の毒だな。まあ、しっかり気を持てよ。悲しいけど、人は必ず死ぬんだ」
「…え」
山本は一瞬言葉を失い、兵藤の勘違いに気がついた。
「違うの。通り魔の方が知り合いだったのよ…」
―…逆か。さらに困難になったぞ。なんて言えばいいんだよ。
兵藤は咄嗟に考えたが、かける言葉が見つからなかった。
この場合、山本と通り魔の関係によって地雷を踏む可能性もある。
山本は言葉を続けた。
「信じられないけど、通り魔は池田先生だったみたい」
―…池田って誰だ。聞いた事がある名前だな。…あれ。俺の家に来た人の名前って池田じゃなかったっけ。
兵藤は通り魔と池田との人物像が不一致のため、半信半疑で山本に聞いた。
「あのさ。もしかしてだけど、俺の家に来た池田って人じゃないよな」
「…その池田先生よ」
山本の言葉に兵藤は例えようもない衝撃を受けていた。
さっきまでは他人事だった。
まさか、そんな危険人物が身近にいたなどとは思ってもみない。