兵藤も必要以上にくっついた3人の後ろに回って画面を見ると、現場の慌しい様子が映っている。
リポーターが悲痛な声で原稿を読み上げているのだが、情報が少ないためかオウムのように短い単語を繰り返している。
大事件の時はいつもこうだ。
ベテランになると間にいかにも心配しているような言葉を挟むのだが、たまたまその場に居合わせた新人はそうも行かない。
何を話して良いか分からないというプレッシャーに今にも押しつぶされそうだ。
その様子に兵藤もやっと現実感が沸いてきた
…はずだった。
―これは大変な事になった。
横に来た山本の胸が兵藤の腕にあたっている。
山本は気がついていないのかもろだ。
兵藤は画面を見てはいたが、意識は完全に腕に集中されていた。
―これは…わざとしているのか。
山本の顔を見るが、視線は画面に釘付けだ。
兵藤を気にしている様子はない。
―俺はどうしたらいいんだ。
兵藤はそのまま固まるしかなかった。
腕を動かすと山本が気づき、変態とでも騒がれたら兵藤の信用が地におちる。
動かさずに誰かに変態と言われれば、同じく兵藤の信用が地におちる。
まさに、前門の虎、後門の狼だ。
兵藤はその場で足踏みするしかなかった。
―それにしても、いまいち色気がないな。ブラジャーの感触しか感じられない。
肉感はまったく感じられず、ざらざらしていてがっかりだ。
不意にブラジャーの感覚が無くなった。
しかし、不自然に思われる事が無い様にそのままの態勢を保つ。
「…兵藤。おい、兵藤」
亀井の声に兵藤が気づくと佐藤はもう携帯をしまっていた。
自分から入ったのだが、佐藤の横にいた亀井は居心地が悪そうだ。
隣の古森に言えばいいのだが、何故か兵藤に矛先が向いた。
「ああ、今移動するよ」
兵藤は慌てて身を翻した。
山本の姿が目に入り、胸に視線が移動する。
またすぐに、目をそらした。
誰も気づいてはいないのだが、なんとなく気まずい。
「どうやら、捕まったようで安心ね。でも、こういう事件って模倣犯とか出るらしいから皆も知らない人には気をつけてね」
「部長も気をつけた方がいい」
亀井が答える。
しかし、その脳裏ではまた新たな疑問が湧き上がっていた。
―知らない人に気をつけろか。だが、犯罪の統計を取ると被害者と加害者が知り合いだった率の方が圧倒的に多い。むしろ、知っている人に気をつけるべきだと思うな。
亀井はそう分析したが口に出す事はなかった。
「心配なら送っていってやろうか」
兵藤が遠慮がちに山本に声をかける。
―まあ、多分断られるだろうけど。
「そうね。…お願いしようかな」
山本が少し考える素振りを見せた後、兵藤に笑いかけた。
「え…」
予想が裏切られたため、兵藤は答えに詰まった。
意外な表情を見せはしたものの、胸の内は喜びで溢れていた。
男にとっては頼られる事こそが本懐なのだ。
しかし、兵藤の戸惑う様子を見て社交辞令ととったのか、山本が意見を翻した。
「やっぱり、やめておくわ。なんだか、そこまでしてもらうのは悪い気がするし」
「いや、そんな事はないぞ。むしろ、送らせてくれ」
兵藤は嬉しさを前面に押し出す。
「…凄い笑顔」
古森がその様子を見て半分引きながらそういった。
「僕も古森さんを送って行きます」
佐藤が兵藤にならう。
だが、ここにそれを許さない男がいた。
隠すまでもなく、亀井である。
「ちょっと待てよ。お前はいいよ。部外者だろ。俺が古森を送っていくから」
「どうしてですか。僕と古森さんは愛し合っているのですよ」
その言葉に山本が驚きの表情を見せていた。
古森はばつが悪そうな顔をしている。
必死になって佐藤に黙るようにアイコンタクトを取っているのだが、佐藤は止まらない。
これでは愛コンタクトだ。
「隠していてすいません。僕は古森さんが好きです」
古森が泣きそうな顔をしている。
どうやら隠しておきたかったようだ。
「それは本当の事なの」
山本が真顔で古森の方を向く。
「いえ、それは。あの」
古森はしどろもどろになって顔を真っ赤に染めている。
「良かったじゃないの。これはお祝いしなきゃね」
古森は叱られる前の子供のような態度だったが、山本の言葉を聞いて照れくさそうに笑った。
亀井はそれが気に食わない。
「まあ、最近の学生は数週間で別れる事もあるし、もう少し様子を見た方がいいと思うな」
嫉妬心から亀井は否定的な発言をする。
「いいじゃないの。佐藤君は真面目そうだし、きっとうまくいくよ」
「…」
自分の真意を汲み取ってもらえず、亀井は黙り込むしかなかった。
「じゃあ、今日はこのまま解散しよっか。本当に気をつけて帰ってね」
山本は締めくくった。
部室から佐藤と古森が出て行くと、それを追うようにして亀井もまたいなくなった。
部屋の中には兵藤と山本2人きりだ。
「兵藤君。もう少し待ってね。ちょっとやる事があるから」
「ああ」
皆が立ち去り、兵藤は無口になる。
―どうしよう。
いきなり山本と帰る事になって兵藤はどうして良いか分からない。
―山本の部屋にまで上がりこんだりするのか。いや、心の準備が出来ていない。それにあれを持っていたかな。
兵藤は山本がこちらを見ていない事を確認すると、財布の中にあれが入っているか覗き込む。
…ない。
どうやら、練習の段階で使い切っていた事を忘れていたらしい。
―おいおい。勘弁してくれよ。最近流行りの学生のでき婚なんて俺はしたくないぞ。
兵藤の頭に父親に叱られる様子が浮かんできた。
「俺はお前をそんな子供に育てたつもりはない」
大抵の親は自分の事は棚にあげて、子供を叱り付ける。
多忙な人生、年を取るにつれて性年の心を忘れてしまうのだから仕方が無い。
子供にとっては大迷惑だ。
―まあ、出たとこ勝負だな。生だからって出来るとは限らないし。
兵藤は大抵の若者と同じようにリスクマネージメントが大甘だった。
もしかすると、山本が別れないようする足枷を望んでいたのかもしれない。
人は皆、孤独なのだから。
そんな事を兵藤が考えているとは露知らず、山本が部室を出る準備を終えて笑いかけた。
「そろそろ、いく」
「ああ、一緒にいくよ」
なんだか卑猥なやり取りにでも聞こえるかもしれないが、それは気のせいというものだ。
兵藤が山本を連れ立って部室のある建物を出ると、雨が降ってきた。
兵藤はバックから折りたたみ傘を出す。
「いれてあげるよ」
「ありがとう」
このくだりも卑猥に思う人はいるかもしれないが、普通のどこにでもあるやり取りに過ぎない。
そのまま、二人は駅へと向かった。