兵藤は大学での講義が終わり、構内を歩いていた。
―山さんに行こうか。行くまいか。
別れた時の山本の顔が脳裏にちらついている。
そのまま同じ所をぐるぐると廻っていると、騒ぎ声が聞こえてきた。
見ると、学生達の集団がベンチに座って携帯を覗き込んでいる。
興味はあったのだが、気にすることもなくそのまま歩く。
気がつくと、山さんの部室前に来ていた。
―ここに来たのは、久しぶりだ。
外は曇り空で憂鬱な気分になってくる。
ドアをただ見つめるだけで、入る勇気がない。
―行け、行くのだ。がんばれ、俺。
だが、まるで中にゾンビの集団が潜んでいるかのように気後れする。
足音が聞こえてきた。
亀井がこちらに走ってくる。
兵藤は突然現れた亀井に頭が真っ白になった。
「おい」
亀井が少し離れた場所で声をあげる。
「おお」
兵藤は気まずそうな顔で答えた。
亀井は近くまで来ると立ち止まり、はあはあしている。
「久し…」
兵藤が言いかけた所で亀井が口を挟む。
「大変だ。…お前、もう聞いたか」
「え、何が」
突然の事に兵藤は怪訝な表情を見せた。
「事件だよ。事件」
「実験か。何の」
「ボケている場合じゃないぞ。この近くで何かがあったらしい。携帯でテレビ見られるなら見てみろよ」
「え、ああ」
―充電が残り少ないのに一体何なんだよ。
携帯に現地の様子が映し出された。
亀井も横から覗き込む。
道路脇に距離をおいて救急隊員と負傷者がセットで並んでいた。
「おい。なんだよ、これ。テロか」
兵藤はまだドラマを見ているような気分でいた。
映し出される媒体が同じなので錯覚するのも無理はない。
兵藤が道路をよく見ると見覚えがあった。
「この近くじゃないか」
「音が聞こえないぞ。大きく出来ないのか」
亀井に言われて、音を大きくする。
すると、電池が切れて携帯は沈黙した。
「お前、使えん奴だな」
亀井が苛立ちをぶつける。
「なんだよ。お前こそ携帯はどうしたんだよ」
兵藤も携帯を閉じて、反論する。
「俺の携帯は旧型でテレビを見られないんだよ」
亀井が逆切れした。
「お前の方が使えないだろ」
「部室。部室に誰かいなかったか」
亀井は兵藤の言うことを無視して、部室の方を見る。
「…」
「そこ、どけよ」
兵藤が答えないでいると、亀井に突き飛ばされた。
いつもの亀井と違って強引で男らしい。
ドアを開けるとそこには古森と佐藤がくっついていた。
二人は慌てて離れる。
亀井はその名の通り亀のように固まった。
「…お前ら、今何していた」
「…」
「見れば分かるだろ」
答えない二人に代わって兵藤が火に油を注ぐ。
「お前には聞いていない」
亀井に睨まれた。
兵藤は剣幕に押されて顔をそらす。
―佐藤と古森って付き合ってたんだ。前見た時に怪しいと思ったんだよな。
兵藤は納得した。
だが、亀井はそうも行かない。
「この野郎」
最早、ニュースの事など亀井の頭にはなかった。
亀井にとってはこっちの方が大事件だ。
亀井は佐藤に近寄った。
古森が佐藤の前に立つ。
「いまさら、何よ。さんざん、実験動物とか言って人間扱いしなかったくせに」
どうやら、少しは亀井に気があったようだ。
古森の言葉に佐藤が密かに傷ついていた。
女心より男心の方がデリケートなのだ。
「何か。だからって、こんな子供みたいのとくっつくなよ」
亀井はどうも相手が佐藤だった事に自尊心が傷つけられたようだ。
―子供か。古森と子守りをかけたのか。全く、こんな時に。
実際、亀井はそんなつもりはなかったのだが、兵藤は亀井を白い目で見ていた。
ドアがまた開いた。
入り口の方を見ると、山本が入ってきた。
「ねえ、皆。知ってる。この近くで通り魔が…」
山本は言いかけて、部屋の構図を見ると黙り込んだ。
脇に兵藤がいるのを見て、少し目が輝いた気もする。
「何しているのよ」
山本は目に涙をためている。
男ほど女の涙が嫌いな生き物はいない。
涙は凶器といってもよい。
男の振るう暴力と同じだ。
亀井はおろおろしだした。
兵藤に目で助けを求める。
「別に喧嘩していたわけじゃないぞ。ただ、古森だけに佐藤の子守りを…」
うろたえながら、わけの分からない事を言った兵藤の足が古森に踏まれた。
「何でもないのです。誰もお姫様を奪い合ったりしていません」
―こいつ。自分でいうか。
なんだか、古森が嬉しそうにも見える。
「そうね。ごめんなさい。私の勘違いだったわ。皆がそんな事するわけないものね」
―待て。それで納得するのかよ。
山本は涙を拭いた。
「話を続けるけど、この近くで通り魔が出たみたいなの。さっき、教えてもらったんだけど、かなり凶悪らしいわ」
兵藤は言われてもいまいち現実味が沸かない。
ドラマなどで良く出てくる光景だったので現実感に乏しいのだ。
「…」
他のメンバーもどう反応してよいか分からない。
「…あの、犯人はもう捕まったんでしょうか」
佐藤が口を開くと、亀井がいらいらした。
「さあ、どうかな。でも、捕まったんじゃないかな。誰かテレビ見られないの。私、携帯忘れちゃって」
佐藤が携帯を取り出して、テレビをつけた。
古森が横から覗き込む。
案の定、亀井が二人の間に割り込んだ。