「う、動くな。両手をあげろ」
普段の凄みをきかせたヤクザさながらの声とは打って変わって、弱々しい声で巡査長が警告する。
巡査長は自分の声が震えている事に気がついていた。
もし、男が襲ってきたのなら、引き金を引く。
自分の身を守るためなのだから当然だ。
だが、警察の本当の目的は犯罪者を捕まえる事ではない。
犯罪が起きないようにすることだ。
そのため、同様の事例が起きる事の無いように全容を解明する必要がある。
つまり、男を殺さずに捕らえなければならない。
殺さないようにするには、手や足を狙う必要がある。
だが、手や足を狙うのと胴体を狙うのでは、明らかに胴体の方が楽だろう。
しかし、胴体を狙うと重要な器官にダメージを与え死に至らしめる可能性がある。
巡査長は胴体を狙いたかった。
その方が安全で確実だからだ。
訓練とは違い、相手は反撃してくるのだ。
自分は銃を持ってはいるものの、相手も持っていないとは言い切れない。
自分も命がけなのだ。
マスコミは事前に知る事の出来ない情報を最初から分かっていたかのように報道する。
裁判も論点は同じようなものだ。
警察官が素手の少年に発砲した。
これを聞いてなんで素手の少年に発砲するのか意味が分からない人もまた多いのではないだろうか。
警察の確保の基本は組織力を生かした多勢に無勢だが、個人として逮捕術も当然、ある程度は習う。
ならば、素手でいけよと思うだろう。
発想が貧困だ。
事実は小説よりも奇なり。
少年の方が警察官よりもたまたま肉体的に強かったのだ。
警察官というと屈強なイメージがあるが、実際はそうではない。
映画さながらの強い者もたくさんいるが、大体は普通の人達なのだ。
募集要項を見れば、それくらいは推測出来るだろう。
このように、人の想像を裏切る事が実際に起こっているのが現実なのだ。
掲げた建前に本音がついていっていないという所か。
これが、巡査長の直面している問題だった。
どちらが、追い詰められているのか分からない。
池田は銃を構えた警察を見た。
そして、不思議そうな顔をしている。
オマワリサンダ。カセイニキテクレタンダ。
警察の制服を見て、池田は笑いかける。
自分の全体像は自分では見えない。
池田は自分が他人からどう見えているかわかっていなかった。
巡査長の恐怖は膨れ上がった。
人を刺しておきながら、笑う事が出来る人間がいる。
「動くなと言っているだろう」
肩で耳を塞ぐと、空に向けて引き金を引こうとする。
が、硬くてなかなか引けない。
相変わらず、使えない銃だ。
もともと、警察の銃は威嚇用で撃つためのモノではない。
両手を添えてなんとか引いた。
激しい音とともに、火薬の匂いがする。
後で銃にこびりついたススを綺麗に取らなければならない。
そんな事がふと巡査部長の頭をよぎった。
池田は大きな音にびっくりして、自分を取り戻した。
―あれ、私は何をしているのでしょう。
銃の音は恐怖によるヒステリー状態から現実へ戻す効果もあるのだ。
恐怖で恐怖を打ち消すといっても良い。
だが、気づいた所で池田にはどうしようもない。
「待ってください。私は…」
弁解しながら、池田は警察官に近づく。
「黙れ。近づくな」
巡査長は池田に合わせて無意識に下がった。
凶悪犯のいう事などいちいち聞いてはいられない。
池田は自分の手を上にあげれば話を聞いてもらえるのではないかと思った。
巡査長は急に池田が手をあげる予備動作を取った事で、ナイフを投げようとしていると勘違いする。
慌てて、銃口を男に向け、そのまま重い引き金を何度か引いた。
銃が熱くなり、反射的に手を離しそうになる。
池田に乾燥室の高温になったボイラーを触り、火傷をした時のような感覚が走る。
言い換えれば、焼けた砂浜をはだしで歩いた時の感覚の延長だ。
その後で激痛が来た。
―痛い。痛い。
池田は痛みで思考が出来なくなった。
当然、「なんじゃ、こりゃ」などと思う余裕など全くない。
脛や足の小指を何かにぶつけた瞬間にいろいろ考えたり出来ない。
それと同じだ。
巡査長は痛さに転げ回る男を見下ろして、胸を撫で下ろしていた。
男が死んでいないという事だ。
殺人犯は死刑で当たり前だ。
罪を償わせろという者がいる。
だが、殺人犯を死刑にするという事は直接的でないにしろ、殺人犯を作り上げるという事に他ならないのだ。
ならば、殺した者もまた死刑にすべきなのではないのか。
被害者の感情を無視すれば、そういう話になる。
殺人犯は人間ではないという者もいるが、そんなはずはない。
所詮、死を簡単に口に出来る者は我を忘れているだけか、他人に重い責任を背負わせるだけで自分は無関係な場所から勝手に言っているだけと気がついていないだけだ。
巡査長は直接関わる方なだけに、例え人殺しといえど、殺したくは無いのだ。
自分と犯人の違いが無くなってしまう。
スピード違反車を捕まえるためにスピード違反する。
裏を返せば、スピード違反を合法的にしたければ、警察に入ればいいのだ。
そう考える者も確かにたくさんいる。
それは、市民に対する接し方を見れば間違いない。
だが、スピード違反は許せないと本気で考えるような真面目な警察官も1パーセントくらいはいるのだ。
巡査長も真面目なタイプだった。
殺人者の仲間になどなりたくはない。
頭ではそう考えていた。
だが、人を撃ったというのに不思議と良い気分だ。
巡査長は自己陶酔感に浸っていた。
正義の鉄槌という名分に踊らされている。
―自分のやった事を思い知れ。
まるで悪代官を懲らしめたかのような良い気分だ。
時代劇でよくある事ではあるが、あの懲らしめられる相手が普通の人だったらどう思うのだろうか。
残虐極まりない。
イスラム原理主義の思想の人は目には目をで当たり前と思うかもしれないが、やっている事だけ見ればどちらも常軌を逸している。
悪には何をやっても良い。
見た人間にこの思想を植え付ける。
人間達は自らの判断をもって間違った善悪をつける事も多々あるだろう。
つまり、善には何をやっても良いとなる場合があるという事だ。
危険極まりない思想となっている。
そうして、それは快感ともなる。
こういったモノは金の力で世の中にはびこる悪に対して、ただ嘆くしかない庶民達の不満を権力者から背けさせるために作られた可能性がある。
数で勝る庶民の反乱を防ぐために、用意した現実逃避の場だ。
仮想敵国を置く事で内政のまずさから外部に目を向けさせる戦略のようなものだ。
それがこんな結果になるとは予想出来ても儲かるので、誰も何もしなかったのであろう。
残念だ。
巡査長も一度快感を知ってしまった以上、もうあの頃には戻れない。