部屋では歌い疲れたのか誰も曲を入れていなかった。
画面にはサービスの案内が流れていて、部屋には営業が終了する直前のような寂しい音楽が流れている。
女性陣を見ると、3人が不自然な態勢でソファーに寝そべり、お互いに寄り添っている。
もう一人は歌本を熱心に見ているようだ。
男性陣はというと女性を気にすることなく、田中と佐藤が野球の話題で盛り上がっていた。
そこに、2人が戻ってきた。
「お前ら、どこに行ってたんだよ。皆、しらけちまったじゃねえか」
田中が2人を睨みつける。
「いや、悪い悪い。こいつがさ、ホームレスに眼鏡もらったんだよ」
小林が待っていたとばかりに、事の次第を説明する。
しかし、田中も佐藤もそんな事に興味はない。
小林にリモコンを差し出す。
「ほら。とりあえず歌えよ」
小林が暗記しているキーコードを入れて兵藤にリモコンを回した。
画面を見るとタイトルが映し出される。
メロディーを聞いて、横たわっていた女達も体を起こした。
「あたし、この歌好き」
「あたしも」
「×××…」 歌いだしを聞いた途端、女達が勝手に演奏終了ボタンを押してしまった。
小林は空気を読めなかったようだ。
女性達が怒り出した。
「サイテー。うざい」
「KY。ほんとにサイテーね」
「ちょっとだけおもしろかったのに…」
中には一人だけ残念そうにしている娘もいた。
部屋の中が沈黙に支配される。
―飛んだとばっちりだ。小林が歌っている間にゆっくりと曲を決めようと思っていたのに。
兵藤は急いでビジュアル系の曲を選んでいれた。
一生懸命歌ったが、誰にも注目される事は無かった。歌う事がやけに虚しい。まるで罰ゲームを受けているかのようだ。
―なんだか、疲れたな。
歌い終わると溜め息をつきながら、兵藤はソファーに深く腰をかけた。
朝になって、兵藤は始発で自分のアパートに帰った。
アパートに入り、部屋の鍵を机の上に置くと、ベッドに飛び込んだ。
―痛。 そんなに痛くはなかったが、胸に違和感を覚える。
―そういえば、眼鏡。ホームレスの人にもらったんだっけ。
ポケットから取り出そうとすると、手が滑ってベッドと壁の隙間に落ちてしまった。
―落ちたけど…。まあ、いいか。
眠気が限界だった兵藤は寝てしまった。
それからしばらく経ったある日の事。
兵藤のアパートに小林と佐藤と田中の3人が遊びにやってきた。
「ちょっと飲み物入れてくるから。その辺に座っていてくれ」
兵藤が席を外すと小林と田中は部屋の中の探索を始めた。
目指すはエロ本一直線だ。
佐藤は探すでも止めるでもなく、中立を保っている。
「お前はベッドの下。俺はこっちのクローゼットの方を探すから」
田中が小林に指示を出した。
小林が床に頭を擦り付けてベッドの下を覗くと、いろいろ物がある。
「汚いな。なんか棒みたいなのないか」
佐藤が近くにあった土産物に売っているような木刀を渡す。
小林はベッドの下に木刀を入れて端の方へ物を一気に移動させた。
「うわ。いつの週刊誌だよ。なんか埃まみれのパンツとか出てきたし」
あらかた確認した小林がもう一度ベッドの下を見ると奥の方に何かが見えた。
木刀を差し伸ばして手繰り寄せる。 見覚えのある眼鏡だった。
ロゴを見て、ホームレスにもらった眼鏡である事を思い出す。
近くにあったOAクリーナーで眼鏡を拭いた。
「お待たせ」
そこへ兵藤が戻ってきた。手にはお盆を持っていて、お菓子と飲み物がのっている。
テーブルの上に置いた。
「おいおい、勝手に漁るなよ。田中もこっちに座れ」
田中は手に戦利品を持っていた。にやにやと笑っている。
「お前、こんな娘が好みなのか」
「ああ、それ昔の彼女」
「え…」3人の視線がパッケージに釘付けになる。
そして、兵藤を見る視線が尊敬のような眼差しへと変わる。
「なんだよ、どこで知り合ったんだよ」
「ああ、クラブでちょっとな」
「勇者よ」
「勇者って…出会いの酒場かよ」
「やっぱテクニックLV高いの」
3人はテンションが上がって、口々に話し出す。
「なんでRPG風になるんだよ」兵藤が突っ込む。
「佐藤が勇者って言うからだろ。って、問題はそこじゃねえよ」
「まあ、この話は終わりだ。昔の彼女だからな。どうせ、今は関係ないし」
兵藤がそう言うと、3人は残念な様子だった。
特に普段大人しいと思っていた佐藤が一番悔しそうな顔をしていたのが意外だった。
「あれ、お前。その眼鏡どこにあった」
兵藤は小林の持っている眼鏡に気がついた。
「そこのベッドの下に転がっていたよ」
「そうか。無くしたと思ったらそんな所にあったのか」
「これ、あの時ホームレスのおっさんにもらった眼鏡だろ」
「そうそう。もらった日に無くしたんだよ」
「そういえば、そんな事言っていたな。ちょっとかけさして」
小林は田中に眼鏡を渡した。
眼鏡の田中は普段、見慣れていないせいか知的に見える。眼鏡効果を思い知った。
「すごいな、田中が営業の人になった」
「ほんとだ」
「え、俺も俺も」 小林が眼鏡をかける。
コメントのしようがなく、皆渋い表情になり沈黙する。
「…まあ、がんばれ」褒められた田中が罪の意識を感じて励ます。
「そうだな、がんばれよ」
「がんばれ」
慰めを受けた小林は不満そうな顔で眼鏡を佐藤に差し出した。
佐藤が眼鏡をかける。
その時、誰かが歩いているような軋む音がした。天井裏からだ。
兵藤は皆をからかった。
「ラップ音だ。また出たよ」
本当は木材が伸縮をする事で引き起こされる音で、兵藤の部屋では、大体同じ時間帯に良く鳴っている。
「ラップ音ってポルターガイストか」田中が反応する。
「そうそう、こいつの家。前に隣の部屋で自殺者が出たんだよ…」 小林は嘘話に便乗した。
「…その時の名残でな、隣にはお札がたくさん貼られているんだ。で、こいつの家に霊がたくさん集まってくるんだよ。部屋でスモーク炊くと隣の部屋に害虫が移動するみたいにな」
「うわあ」田中は演技で何かがいるかのように、佐藤の後ろを指さした。
後ろを振り向いた佐藤も体をガチガチにして震えている。
兵藤はふと、ここが自分の家である事を思い出し、3人が帰った後の事を思うと怖くなった。
「もういいよ。夜眠れなくなるだろ」
兵藤が言うと、田中と小林は恐怖の表情から一転して笑顔になった。
「バカだな。お前が言うからだろ」
「いや。まじな話、いるかもしれないぞ」
2人はまだふざけている。
ところが、佐藤は後ろを向いたまま、何も言わずに固まっていた。
3人が佐藤の向いている方向に何があるのか見てみたが、壁があるだけで何もない。
「佐藤。大丈夫か」 小林が呼びかけながら、肩に手をかける。
「…」 佐藤は声にならない叫びをあげて、ゆっくりと3人の方を向いた。
血の気が引いたかのような青ざめた顔色をしている。
―こいつ、演技がうまいな。でも、しつこい。
兵藤は佐藤を睨みつける。しかし、佐藤は相変わらずだ。
「もういいよ。その話は終わりだって」 田中が声をかけても表情は変わらない。
「あれが…見えていないの」佐藤は壁の一点を見つめている。
小林が立ち上がり、何の変哲も無い壁を触る。
「別に何もないだろ。何言ってるんだ」
佐藤は後ずさるように、小林から離れていく。
「何で逃げるんだ」
小林が近づいて手を出すと、佐藤はその手を振り払った。
「痛いな。冗談はもうやめろよ」
「小林が霊に乗っ取られた…」佐藤の呟きが聞こえたような気がした。
「本気で怒るぞ」
声をかけた兵藤を見て、佐藤は急に暴れ出した。机をひっくり返す。
3人でなんとか佐藤を取り押さえた。
「しっかりしろ」 小林は佐藤の顔を軽く往復ビンタする。
反動でかけていた眼鏡が飛んだ。佐藤は急に大人しくなった。
「おい、どうしたんだよ」
「あれ、あいつらは」
「最初から俺たちしかいないだろ」
「だって、壁に急に首を吊った男が現れて、近づいた小林を乗っ取ったんだよ。振り向いたら、お前らも何故か幽霊になっていて…」
3人は顔を見合わせる。 兵藤は佐藤の説明に漠然とした不安を覚えていた。
「幻覚だろ。…お前、薬とかやっているのか」
「やっていないよ。タバコも吸わないのに」
「きっと疲れていたんだよ」田中がフォローする。
「今日は解散するか」小林はこの場からすぐに立ち去りたい気分だった。
「そうだな」他の2人も同調する。
3人は自分のカバンを拾うと、そそくさと帰っていった。
一人、部屋に取り残された兵藤はベッドに腰をかけた。
部屋の住人は自分一人なのに誰かに見られているような気がしてならない。
―もう、佐藤は絶対に家には呼ばないぞ。
また、天井裏から音がした。
一瞬で肉が強張った。
静かなのが怖いのでTVをつける。
それでも、自分の視界の外に何かがいるようで気持ち悪い。
―くそ、佐藤め。あいつは最悪だ。
その日の夜は昨日よりもやたらと寒気がした。
蒲団に包まっても、蒲団の上に何かが乗っているような気がして、怖くてたまらなかった。
風の音にさえ怯えながら兵藤は眠りについた。