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1ホームレスにもらった眼鏡

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―今日は外れだな。男が金を払うのが当然と考えてやがる。客が俺は神様だというようなものだ。

そんな事を考えながら兵藤が用を足していると小林が来た。

さりげなく、兵藤の持ち物を横から覗きこもうとしている。

兵藤はそれに気付いた。

腰を前に突き出し、小林から見えないようにする。

小林は壁のタイルに視線を移し、口を開いた。

「兵藤。今日は気に入った娘はいたか」

「いないな。お前は」

「微妙な判定だな。ボールとストライクの中間くらいかな」

「お前、女は顔じゃないとか言ってなかったっけ」

「顔の事じゃない。体の…いや、心の事だ」

―また、いい加減な事を。

兵藤は軽く腰を振ってチャックを閉め、洗面所へと移った。

目の前の鏡で自分の顔を確認する。

少し、肌がくすんでいる。

―さっさと帰れば良かったかな。徹夜で付き合う程じゃない。

兵藤は手を洗い終わり、乾燥機の中に手を突っ込んだ。

音だけは凄いが、なかなか水分が飛ばない。

風圧の弱さにいらいらしながら何度か手を往復させていると、用を足した小林が横に来た。

「俺、ちょっと外の空気吸ってくるよ」

乾燥機から手を出して、小林の方を向くと、タバコを吸う仕草をする。

「ああ、俺も行くからちょっと待ってくれよ。あいつら、タバコを部屋で吸うとうるさいからな」

「分かった」

2人は連れ立ってトイレから出た。そして、階段を降りる。

一階のカウンターにいる店員に断ると、店の外へと出た。

兵藤は室内との温度差に軽く毛を逆立て、身震いする。

明け方の街は静けさを保っている。

動きを見せるのは、ゴミを漁るカラスくらいだ。

排気ガスを撒き散らす車がいないせいか、空気が透明度を増している。

兵藤は胸ポケットからタバコを取り出して火を点け、小林が口に咥えて突き出したタバコにも火を点けてやる。

2つの煙が立ちのぼった。

煙を見つめながら小林が話す。

「…最近、喫煙者に厳しくなったよな」

「仕方ないだろ。専門家が言うには、百害あって一利なしなんだから。虎の子の税収だけが目的で存続させているんだろ」

「本当にそう思うか。タバコにもいい面はたくさんある。俺は薬物汚染が広がる原因は禁煙ブームのせいじゃないかって思うぞ」

「いきなりだな。どういう事だ」

「考えても見ろよ。タバコがどこでも吸えなくなる。吸っている奴を煙たがる。そしたら、隠れて吸うだろ。今の俺達みたいに」

「ああ。けど、それがどうした」

「タバコってもともと眠気覚ましとかリフレッシュで吸うモノだ。隠れて吸うと、悪い事をしているようで逆にストレス溜まるよな」

「それで」

「ストレスが溜まると切れやすくなる。切れやすい奴がいると周りにストレスを与える。そのストレスから解放されるために、薬物に手を出す。どうだ」

小林は勝ち誇ったような顔をしている。

「ストレスだけが原因なら、今ごろ日本人は全員薬物中毒だろ」

「それもそうだな」

二人は苦笑いをした。

そんな事を話していると、何かを引きずるような音が聞こえてきた。

音のする方を向く。

右からモノがたくさん積まれたリヤカーを引いて、ホームレス風の男が歩いてきた。

荷台の上にはヤカン、衣服、電化製品などがゴミ屋敷の庭を切り取ったような状態で積まれている。

男は2人の前で立ち止まった。

「兄ちゃん。タバコ一本くれねえか」

兵藤はいきなり話しかけられて呆気にとられた。

反射的に小林の方を向いて、目で助けを求める。

小林が代わりに答えた。

「俺がやるよ」

箱の端を軽く叩いて一本だけ出す。

「折角だが…。俺はマイスタしか吸わねえのよ」

「マイスタ」

「マイルドセブンかセブンスターの事だ」

「ほら、残り半分くらいだし、箱ごとやるよ」

2人の会話を聞いて、兵藤はセブンスターの少し潰れた箱を差し出す。

男はとても嬉しそうにタバコを受け取った。

すると、急にリヤカーの中をごそごそと掻き回し始めた。

「ただでもらうのも悪いから…。じゃあ、これと交換だ」

様子を見守っていた兵藤が男の手を見ると、黒いセミフレームの眼鏡が握られていた。

「ありがたいけど、いらないよ。眼鏡かけないし」

「大丈夫。これは伊達眼鏡だ」

男は兵藤の手に無理やり押し付けた。

「タバコ、ありがとな」

そう言って、男はまたリヤカーを引いて左の方に歩き出した。

兵藤はどうしていいか分からず、顔を顰めながら手の中にある眼鏡と去っていく男の背中を交互に見ている。

「大丈夫ってなんだよ」

「ちょっと、見せてもらっていいか」

小林が眼鏡を手に取った。 眼鏡の匂いを嗅いだ後、いろいろな角度から見ている。

「一応、ブランド物みたいだな。ほら、ロゴが入っているぞ」

見ると、レンズ付近のフレームの繋ぎ目辺りにブランドの名前が入っていた。

―知らない名前だ。

「フレームもしっかりしているし、レンズだけ交換すれば眼鏡は使えるからな。もらっとけよ」

「そうだな。まあ、もらっとくか」

小林から眼鏡を受け取り、胸ポケットにしまった。

「寒いからそろそろ中に入るか」

「そうだな」

2人はカラオケ屋の店内へと戻っていった。


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