14走る男


廊下を颯爽と駆け抜ける兵藤の姿に気づくと、皆が端によって避けてくれる。

これが大阪の町ならこうは行かないだろう。

通行人にぶつかり、「私は半歩避けたわ。もう半歩はあんたが避けて当たり前や」などと言われるのがオチだ。

東京の街なら大抵は避けてくれる代わりに後ろから「頭がおかしい奴だな」などと言うぼやきが聞こえてくるだろう。

しかし、ここは大学だ。

兵藤は山本のいる場所に向かって何も気にすることなく、全力で走る事が出来る。

兵藤は階段の辺りに差し掛かると、急に減速した。

―やばい。どうしよう。

兵藤は感情が先走り、行き先を確認するのを忘れていた。

いわゆる勇み足である。

兵藤は階段の踊り場で手すりを掴んで止まった。

急に全力を出したせいか、さてまた、タバコを吸っているせいか、それとも、ニコチンパワーが切れたせいか、息切れが激しい。

特に呼吸器系が痛い。

汗が出るというよりは汗が引いていくような感覚だ。

兵藤はその場で呼吸を整えると、今ごろ汗が出てきた。

顔の汗を手で拭うと、目に入ってとても痛い。

しかも、汗の通り道を作ってしまったのか、次から次へと汗が目に流れ込んでくる。

たまらず、トイレへ向かう。

掃除中の看板が出ていたが、構わず駆け込んだ。

すぐに顔を洗う。

水は冷たかったが、今の兵藤にはとても気持ちが良かった。

手の平に限界まで水を貯めて、思いっきり顔へと叩きつける。

―ああ、さっき綺麗にしたばかりなのに。

掃除のおばさんは心を痛めていたが、もちろん兵藤にはそんな事は分からない。

水滴をあちこちに飛ばしながら、トイレを出た。

 

その頃、池田は山本と会って、サークルの活動について簡単にプレゼンを受けていた。

「…というわけです」

山本の説明に池田は頷く。

「なるほど。…超常現象の口コミを元に調査するのが活動内容という事ですか。よく分かりました。ところで、危険はないのでしょうか」

「ええ。うちには有能な人材が豊富ですし、危険な事はやりません」

山本は自信があるかのように、パットでごまかしている胸を突き出した。

「そうですか。…そういえば、最近亡くなった学生さんがいるという事ですが」

池田の言葉に山本の顔が曇る。

「ええ。しかし、サークルの活動とは関係ありません」

「どういう事ですか」

池田には意図があった。

竹下の事について、どこまで警察が突き止めているのか、直接接触した山本から聞き出そうという狙いだ。

ここまで来たら、池田は後に引けない。

もう、隠し通すしかないのだ。

そう思い込んでいた。

実際、警察が池田に目星をつける前に、自首すれば自首の規定が適用され、罪は軽くなる。

その事は分かっていた。

だが、日本は失敗を決して許さないという風潮がある国だ。

人間工学からすれば、人は必ず失敗する。

にもかかわらずだ。

頭のいい池田には分かっていた。

自首して捕まるのと、自首しないで捕まるのとで、実際問題としてあまり違いはない。

弁護士が被告人に防御権という名の嘘をつくように指示するのはこの為だ。

一万円持っていて、それが一万円のままか、10円になるか、1円になるかとして、誰が10円を選ぶのだろうか。

可能性は低くても、一万円を目指すのが人情なのではないだろうか。

池田は犯罪者の心理で、そう考えていた。

「サークルの活動を行って解散後、プライベートで酒を飲み、亡くなられたのだと警察から聞いています」

「一体誰と」

「それは私には分かりません。警察に聞いた方がいいと思います」

山本の警察という言葉に、池田の心臓は早鐘のように反応していた。

「そうですか。あなた方もお酒の飲みすぎには気をつけて下さいね」

池田は自分の失敗をかみ締めるかのようにそう言った。

「はい」

竹下の話題が終わって、山本の顔に笑顔が戻った。

 

兵藤は山さんの部室前をうろうろしていた。

今日は2度目だ。

目的地も分からないままで、走り出してしまった事が気恥ずかしくて中に入れないでいた。

―ああ、俺はなんてバカなのだ。

廊下の窓から下を見下ろす。

そこに、山本の姿があった。

兵藤は駆け出した。

廊下を抜け、階段を下りると山本が少し疲れた様子で歩いてくる。

「山本。大丈夫だったか」

兵藤は息を少し切らせながら、声をかける。

「ええ。無事終わったわ」

山本は何故、兵藤が自分に駆け寄ってきたのか意味がわからなかったが、とりあえずそう言った。

兵藤は山本の下から上までを舐めるように見た。

特に、着衣の乱れに着目した。

山本は不埒な視線を感じて、兵藤を睨む。

「私の格好。何かおかしい」

「いや、そういうわけではないのだけど」

―どうやら、何もなかったようだ。こいつぅ。心配かけやがって。

兵藤はすでに山本が自分の物であるかのように、そんな事を思っていた。

山本に並んで歩き始めた。

「それで、新しい顧問はどうだった」

「ええ、若くて優秀な人だわ。私は好きよ」

好きという言葉に兵藤が目を細める。

「あら、嫉妬しているの。かわいいわね」

「誰が」

兵藤は顔を背ける。

子供扱いされた感があり、少し悔しい。

2人は部室に辿り着いた。

ドアを開ける。


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