11亀裂


兵藤は大学の構内をいつものように歩いていた。

「君が兵藤君かい」

低い声がする。

見ると、中年くらいだろうか。

男性が2人、佐藤と一緒に歩いていた。

佐藤は告げ口をしたような、バツが悪そうな顔をしている。

「え。…誰」

兵藤は男2人の方に指をさし、佐藤に小声で尋ねた。

「刑事さんだって」

「え…あの有名な…ハリウッド俳優の」

「そうそう。ハリウッドで活躍している。って、なんでやねん」

佐藤が珍しく、のりつっこみを入れる。

2人の男の内、年上の方が「あ」と「お」の中間の音を出して、咳き込んだ。

警察手帳を水戸黄門の印籠のように見せる。

「ふざけるのは後にしてもらおうか。さっさと着いてきな」

鋭い目つきで兵藤を睨みつけた。

もう一人は笑いをこらえているのか、顔をそむけて、よそ見をしていた。

それを見て、兵藤は調子に乗る。

「ええと、認知同行ですか。ご令嬢はいるんですか。俺は手もあれも出していませんよ」

兵藤は胸元をつかまれて、吊るし上げられた。

「お前、仲間が死んで良くふざけていられるな」

強引な刑事のテクニックに兵藤はどきどきする。

その後で、刑事の言葉が頭の中で反芻した。

―仲間が死んだ。死んだって。まさか、小林か。あいつは殺しても死なないと思っていたのに。

兵藤の頭には小林の顔がすぐに浮かぶ。

「誰が死んだのですか」

佐藤の顔色も変わった。

「竹下君だ」

刑事はそう言った後、ポケットから手帳を取り出して眺めた。

「詳しい話は学内にいる関係者全員を集めてから話すつもりだ。だから、黙って着いて来なさい。任意だから、断る事も出来るが、君達も知りたいだろう」

刑事は態度が豹変した2人の反応を伺いつつも、淡々と話す。

だが、もはや兵藤に刑事の声は聞こえていなかった。

―竹下が死んだ。…そんなバカな事が現実にあるわけがない。

死者の名を出される事で急に現実味を帯びてくる。

兵藤はどうしたら良いのか、全く分からなかった。

兵藤を取り巻く色は昔の写真の様にセピアになっていくかのように感じられる。

兵藤は失意のまま、佐藤と一緒に会議室に連れて来られた。

そこにはあの日の山さんのメンバーの内、亀井と山本が会話も無く、よそよそしく座っている。

それでも、兵藤は見知った顔がいる事で、少し安心した。

席に座り、無言のまま、メンバーの顔を見回す。

山本は端正な顔立ちを崩して、泣いていた。

手のひらを針で刺したような痛みが兵藤の胸を打つ。

亀井も肩を落とし、元気がないようだった。

そんな中、佐藤だけはいつもと変わらない様に見える。

兵藤の心に怒りが込み上げてきた。

―こいつ。人が死んでいるのだぞ。なのに、何も思わないし、何も感じないというのか。

…佐藤は実は悲しんでいた。だが、彼は現実主義者だった。

悲しいからといって、悲しい顔をしていても過ぎた事はどうにもならないという事を知っている。

それならば、彼のためにも精一杯生きるべきだ。そう思っていた。

だが、兵藤からすれば、冷血漢以外の何者でもない。

2人の関係にヒビが入った瞬間だった。

兵藤は無言のまま、下を向く。

そして、ふと思った。

竹下は何故死んだのだろう。

一番重要な問題を見落としていた。

もしかして、この中に竹下を殺害した犯人がいるのだろうか。

…まさか。佐藤がやったのか。

この中で驚いた様子が無いのは佐藤だけだ。

急に佐藤の中に獣が住んでいるような気がしてきた。

佐藤から強烈な圧迫感を覚える。

「…で…示し合わせは…個別に…」

兵藤は刑事が話を始めた事にも気づかずにただ、佐藤の一挙手一投足に意識を集中していた。

「…君、兵藤君。聞いていますか」

「はい、聞いています」

兵藤は自分の名前が呼ばれた事で、自分が犯人と思われていると錯覚した。

胸がどきどきする。

―俺かよ。犯人は佐藤だろ。無能な警察め。

心の中で吐き捨てるかのように、そんな事を思った。

「じゃあ、これから個別に事情を伺いますので、呼ばれた人から別室に来てください。終わったら、今日の所は帰ってもらっていいです。待つのは結構ですが、外で待ってください」

まず、亀井が呼ばれた。

兵藤は試験の面接を待っているような落ち着かない気分になる。

貧乏ゆすりが止まらない。

たまらず、誰かに話し掛けようとするが、誰とも目が合わなかった。

一人、また一人と会議室から人数が減っていく。

―そういえば、田中がいないのではないか。あいつ。うまい事やりやがって。

竹下の死についての感情は薄れ、最早、ここから一刻も早く立ち去りたい気分だった。

本来ならば、刑事の話をしっかりと聞いていれば、急性アルコール中毒が原因だと分かっていたはずなのだが、人の話を聞いていない兵藤は自ら窮地に立たされていた。

兵藤は最後に呼ばれた。 部屋の中に入ると、四角い顔の男が2人いた。

普段の兵藤であれば、「カツ丼」を頼む所ではあるが、今はそんな余裕も無い。

ただ、聞かれる事に答えるだけだった。

そして、永遠に思える事情聴取は10分くらいだったのだろうか。

兵藤はただ、竹下の死亡日の行動を事細かに聞かれただけだった。

刑事ドラマのような場面も無く、思っていたよりも簡単に解放された。

兵藤は竹下について質問しようかとも思ったが、余計な事を言って蛇が出ると嫌だったので思い留まった。


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